2009/2/22




  石巻子供我流書展                                     2013/4/24


  2011年8月、震災の傷跡がまだ深い痕跡を残す石巻を訪れ、子供達と我流の書を共にしました。
  それからの子供達との交流の記録をサイトに立ち上げる事が出来ました。
  子供達の活き活きとした書。子供達の書に触れた人達の心温まる感想などが掲載されています。
  皆さんにも是非このサイトを見ていただきたいと思います


  「石巻子供我流書展」   http://kodomo-sho.jp/



  暇の痕跡                                           2013/2/25


   この歳になると月日の早さに今更ながら驚きます。
   考えてみると「時間」というのは得体の知れない不思議なものですね。
   そんな中で、何かを継続させていく、その事で時間を超え、時間を実感する事も一興かと思います。
   自分で書いた書も時間の内に記録され、もう二度と現れない永遠の過去の作品となります。
   良いも悪いも超えた自分の残した過去のこん跡となったわけです。
   書のでき具合にとらわれず、その折々の自分がある視覚的形に現れていると思い、
   自分を楽しんで
みたらとおもいます。自分のこん跡を一杯一杯残したいものです。
               



  画人の筆跡                                          2012/7/10


    先日上野でボストン美術館展を観ました。
    明治初期、ボストンに渡った日本美術の至宝ともいえる数々の作品。
    中でも近世絵画の巨匠達、狩野永徳、長谷川等伯、尾形光琳、伊藤若沖、曽我蕭白の絵画は
    しばし時を忘れる思いで見入りました。
    絵に魅入られている内にふと、彼らの、賛とか署名の墨書に眼が止まりました。
    あの光琳のなんとも風情の無い筆跡。それに比べ
    等伯の自雪舟五代長谷川法眼等伯筆と書かれた品格の書。
    若沖の繊細、几帳面な細字。奇才、曽我蕭白の雄渾な、書家を超えた素晴らしい書。
    思いもせぬ眼福を得る事ができました
    ちまたに何気なく散在する墨書との出逢いも楽しいのですが、こんな楽しみ方もあるのですね。






   石巻子供書展                                       2012/5/25

                       


                 


     



    東京展、岡山展に続き 2012年5月18日から三日間石巻市の
    ナリサワカルチャーギャラリーで<石巻子供書展>を開催。
    八ヶ月ぶりに子供達と再会することができました。
    たった八ヶ月の間に子供達は目を見張るくらい背丈が伸び
    顔付きにも成長の跡がしっかり見られました。

    皆自分の書いた「書」とは思えないと、裏打ちされた作品に驚き喜んでくれました。

    此の期間中、牡鹿半島の全校生徒30人に満たない小さな小学校、
    東浜小学校に出かけ、子供達と我流毛筆の会を開きました。

    彼らの素直で好奇心に満ちた子供らしい表情に囲まれ、
    都会の子供達には感じられなくなった遠い日の子供達に出会ったようで嬉しくなりました。
    東松島の仮設住宅の子供達との我流毛筆の会も忘れられない思い出になりました。

    集合住宅に暮らす子供達の複雑な表情が、大きな筆で大きな字を、
    集中して力をこめて書く間にみるみる変化していく。その様子には驚きました。
    「あー、スッーとした」とつぶやく子供の横顔を見て「良かった」と心から思え幸せでした。





    石巻子供書展・岡山                    2012/3/25


              


         

      2012年 3月13日〜18日まで岡山県の協力で
      天神山文化プラザで石巻子供書展を開催。

      訪れた人々は子供達ののびのびと力に満ちた一字書に驚き
      「元気をもらった」「震災に負けない子供の姿に感動した」と
      ニコニコする人、涙ぐむ人で会場は大きな共感の輪に包まれました。

      「子供は我流の天才だ」とつくづく思いました。





  パリでの書展                           2012/3/4

   

  2012年 2月22日〜28日、パリのギャラリー アート・エ・ミスで
  フランスの彫刻家 キャロリーヌ・リー、写真家 塩沢茂丸さんと僕の書のコラボレーション展

  <Rencontre Franco - Japonaise>が開かれました。

  一字書 9点を出品。象形文字であり、表意文字である漢字一字書を
  パリの人達はどう観たか。
  あいにく会期中パリに出かけることができず
  直接感想を聞く機会を持てず残念でした。






            ギャラリー アート・エ・ミス  会場風景  2012/2/24

                              

                  

                          
                      
                    




  あらがみさんぞうさんの詩文集               2012/2/1

我流毛筆の会の会員であった荒井章(あらがみさんぞう)さんが
詩文集「悩むひとへ キャッチボールしよう」を出版されました。

人は論理に酔うことはありませんが、あらがみさんの感性の言葉は
カリスマ的な力で人を心地良く酔わせます。
久しぶりに大変ユニークな現代詩に触れた思いがしました。

この著書の中で疋田寛吉先生について書かれており、
あらがみさんの許可を得て抜粋します。




       








  東京銀座「石巻子供書展」開催 2012/1/11〜1/21        2012/1/25  


石巻の子供達の書展を 2012/1/11から1/22まで
東京銀座タチカワブラインド銀座スペースAtte(オッテ)で開催する事ができました。

震災に負けない子供達の力強い書は、多くの方々の驚きと、
「子供達の書に力をもらった」という感想をいただきました。


東京新聞を始め、メディアにも紹介され足を運んでくださった方々も多くいらっしゃいました。
此の書展は、3月に岡山市の天神山 文化プラザ、5月に石巻市でも開催します。









 




  石巻子供書展                           2011/9/1

2011年8月28日、我流毛筆の有志三名で石巻の子供達との書の会を開きました。
会に先立って石巻の被災の現場を歩き
テレビ報道では感じることのできなかったすさまじい実態の数々を見ました。
石巻公民館に集まった30名程の子供達は
心なしか元気がないように見受けられましたが、子供達に

石巻の子供さん達へ
我流毛筆の書の会では、学校で学ぶお習字とは少しちがって、
お手本の無い自分らしい自由な書を
楽しんで欲しいと思っています。
漢字は象形文字であり一字一字に意味があります。
漢字一字の持つ意味や、
そのイメージを自由にふくらませて、絵をかく気分で書いて欲しいのです。

お手本には無い君らしい君にしか書けない
見た事のないような面白い書が生まれないか楽しみです。

皆でいっしょに大きな大きな字を描いてみませんか。
「漢字一字を大きな筆で大きな紙にイメージをふくらませて自由に楽しんで書く。」
「皆で合作の一字を書く」
「リレー書を書く」 等楽しい事いろいろやりましょう。
                 

このようなお話しをさせていただきました。
最初おそるおそる大きな筆を握り、とまどっていたましたが、
次第に子供らしい表情を取り戻しにぎやかな声で会場は活気にあふれました。

会に同行してもらった写真家藤井英男さん、映像作家玉井正誠さんが、
書に挑む子供達の映像記録を撮ってくれました。
これらの映像と子供の作品は東京で近い日に必ず皆さんにお披露目したいと思います。



 光琳の墨書                          2011/5/17

世の中何かと落ち着きませんが、こんな時こそ筆をにぎって集中するのも良いかもしれません。
先日根津美術館で尾形光琳の国宝かきつばた−ごめんなさい漢字忘れましたーを見ました。
山のような人の波を前に金箔に藍と緑の、その絵はリズミカルなレイアウトと様式化された素晴らしい存在感で、さすが光琳!さすが琳派と感嘆せずにはいられませんでした。
しかし墨書でしたためられた光琳とゆう文字は一見貧弱な味のない、およそ絵にそぐわない感じ
これは僕のいたらない素人の感想かもしれませんが、
天は二物をあたえずか!と独り愉快な気持ちで帰ってきました。
光琳に負けない書がんばらなければ。





 我流の書                            2011/4/13

我流の書は、たった一人で書きつつ”けるしかなく、自分の書が
どちらに向かっているかさえ解らない不安で孤独なところがあります。
しかし集中して、継続していれば、書いた紙の積み重ねた高さほどには、
何かしら成長していると信念をもってやるしかありません。
休まず、ただただ継続あるのみと思います。
去年の今頃書いた書と今年の書を、じっくり見比べてみてはどうでしょう。
自分が書いたとは思えない書の神様が知らぬ間に舞い降りたような物がないか?
お酒でも飲みながら一年の成果を楽しんでください。





 第四回我流毛筆展                       2010/12/21

              


 一年ぶりの我流毛筆展を11月30日から12月11日まで銀座、
立川ブラインドギャラリー・オッテで開催。会員10人による1年間の成果を展示。
300人に近い方々に見ていただきました。
今回の新たな試みとして、来場の皆さんに大筆による一字書を経験していただいたり、
気にいった作品投票をお願いしたり、楽しい時間を持つことが出来ました。
我流の書に対する皆さんの反応はとても自由で柔軟なもので
我々を大いに刺激してくれるものでした。
書の楽しみ方にも新しい時代が来ているように思いました。




 我流毛筆展を終えて                     
2010/12/14

一年ぶりの第4回<我流毛筆展>、無事終えることができました。
お疲れさまでした。
今年は作品アンケートや毛筆体験などの新しい試みを企画しましたが、
いらっしゃった皆さんが楽しんで下さったようで、とても良かったと思います。
アンケートの結果は大変興味深いものがあるように思いました。
我流の書をとても柔軟に受け止め、
何ものにもとらわれない新鮮な眼で様々な評価を下さった来場の皆さんの素晴らしさ、
そして世の中に無数にいらっしゃるに違いない、書に対する新しい感覚を持った人達。
我流を続ける元気をいただいたように思います。





 大賞を受賞しました                      2010/9/30

 
 先日行われた第30回フィナール国際美術展に出品した「光」という書が大賞を受賞しました。
今年初めて特別展として書の部門が新設され応募してみました。
審査はパリからサロン・ド・メの会長を勤めた彫刻家のキャロリーヌ・リーさんが来日され、賞の選定にあたられました。
サロン・ド・メ(Salon  de mai)は1945年に開催され、ピカソやミロが死去するまで毎年出品し続けた唯一の団体展です。
大賞の受賞により、来年五月頃にパリで、キャロリーヌ・リーさんとのコラボレーション展が出来ることになりました。
キャロリーヌさんの選評を聞いて、書の表現は欧米の人達に充分伝わると確信しました。
また僕達日本人が持つ書の概念とは異なる視点での評価に勇気づけられました。




 平泉の中尊寺に出かけてきました                      2010/6/25

 
 宝物庫に藤原三代に渡る国宝の品々が展示されておりその中の何点かには写経があり、眼を奪われました。
 濃紺の地に金の細字で綴られた経文は端正な楷書ですこぶる品格のあるものでした。一角一角にも極度の集中を感じさせ、剣先でひいた糸のような細く鋭い線は書き手の個性とか私情、嗜好性など皆無。真に無私の書でした。
 比べるにはおこがましいですが言ってみれば我々が志す我流の書とは遠く対極の書です。
 平安の人々が仏の言葉、真言として敬い尊んだ経を綴る書体としてこのような書を愛でたと思うと古人の佇まいを見たように思いました。我々の時代との乖離をこのような形でリアルに感ずる事ができた事は幸せでした。
 自分の書を客観的に捉える座標軸として時代を隔てた古人の書を見つめるのも良しと思いました。

 自分の目指す書が皆目見えない、暗中模索の暗夜行路の中で古人の書を見る事は自分の中に何らかの座標軸のようなものを感じる事があり、自分の書を客観的に感じる何らかのきっかけになるのではないかと実感しました。



銀座でギャラリーバーを営む加島さんからの便りを一部紹介させてもらいます                                                                                                                  2010/5/18

 
 楷の木の枝の曲がり様から楷書。成立は四、五世紀。字体としては最後に完成した書体とのこと。
 楷書は漢字の美しさを端的に表すシンプルな書体。
 夢枕獏との会話の中で獏さんが「漢字は世界一短い神話だ」と言った。
 なるほどいいことを言うな。筆という不安定なものから生まれた端的な美しさを求めた形、造形が楷書というものらしい。
 やはりそこには気品や格が求められ、気が立ち、スピリチャルが不可欠となる。
 不安定とスピリットが気品ある楷書を生みだしたのだ。

 彼はギャラリーバーの経営者でありながらなかなかの美術批評家で、書についてのこの言葉にも感じさせるものがあり、抜粋してみました。



伊豆の下田に行ってきました 
                           2010/4/17

 
黒船の到来した下田は、吉田松陰、坂本龍馬とも縁が深く、
記念館で二人の書を見る事が出来ました。
不思議なもので書を見ていると、歴史上の人物としての知識はあっても
逢った事の無い二人が、生身の、とても身近な人物に思えました。
 
松陰の右肩上がりの筆跡は、偉人として語られる彼のイメージに反して
一途な狭量の人物を思わせました。
龍馬の書は、筆先を垂直にたてた自在の書で
剣豪であった彼が剣先の一点を中心に自在に体を変えた様子を
彷彿とさせるものでした。
囚われずに柔軟で大らかな
そして、どこか繊細なものを感じたのは、NHKドラマの影響だったでしょうか。
 
いずれにしろ、書が良くその人を語る面白さを楽しみました。





パリの書家 ファビエンヌの自伝
                           
2009/8/7

 「沈黙の旅人」の翻訳がいよいよ始まったとパリの友人、富樫さんからの一報。
 彼のビジネスパートナーで僕も面識ある野口園子さんの翻訳との事。
 あれは確か4年前、凱旋門近くのカフェで野口さんが熱っぽくファビエンヌの
「沈黙の旅人」が如何に面白いか。フランス語の読めない僕に、そのさわりを
 話していくれた事を思い出してしまった。
 今、フランスを中心にヨーロッパで書家というよりモダンアーティストとして
 高い評価を得ている彼女の生い立ち。東洋の書に魅せられて天安門事件の前、
 中国に移り住み8年間本格的な書との格闘を経てパリでその成果をものにした
 ファビエンヌの物語。
 書を通して、フランス人の思考や感性を知り得る稀な本だ。
 今から大いに楽しみ。



我流毛筆の会 2009夏合宿
                                   20009/8/3


 昨年の金沢に次いで今年は信州美しヶ原高原で2泊3日の合宿を行いました。
 あいにく御天気には恵まれませんでしたが、温泉有り、持ち寄った美酒あり。
 童心に戻って花火ありで、実に楽しい合宿でした。
 村民ホールをお借りして山の冷気の中、書に集中。
 東京とは異なった空気感と時間の中でそれぞれがいつもと違った自分の書に
 出逢えたようです。

2007/ 8/ 1

我流毛筆の会、初めての合宿

 2007年6月 30日から一泊で千葉の房総、写真家の国房魅さんの別荘をお借りして
合宿を行いました。参加者六名、晴れ人間が集り、雨の天気予報をくつがえし梅雨間の
晴れた二日間となりました。集中した書の時間の後、海の幸を肴に深夜におよぶ酒盛り!!
明け方の海岸の散歩、楽しい合宿でした。

 所変われば物が変わるといいますが、この日の書は皆、いつもの書とは少し違った
おもむきのものが生れたようで、嬉しい合宿となりました。



2007/ 3/ 1

 2006年12月 クリスマスのデコレーションが日増しに色どりを添えるパリを離れて、
パリ郊外ゴッホが最晩年を過ごし、その風景を多くの画材にした
オーヴェル・シュル・オワーズ村を訪ねました。
 その日は幸運にも小春日和、無風の暖かな日でした。ゴッホの墓のある丘に登ると
冬枯れた地平線に向って幾重にも連なる丘陵地の美しさは晴天の冬の光の中で
格別のものが有りました。

 今回の旅は、この村の隣村に住む書家のファビエンヌ・ヴェルディエを訪ねる事が目的でした。
彼女の存在は日本ではまだほとんど知られていませんが、パリでは書家というより
モダンアーティストとして大きな注目を浴びている作家です。
 1980年代、文化革命の傷跡が癒えない中国に渡り、10年余り書の修学に打ち込んだ彼女は、
その著書「沈黙の旅人」のなかで「私は精神のすべてを一筆に投入する芸術の存在を信じる
最後の画家の一人だと自負している」と語っています。
実はこの年の2月、旧知のフォトグラファー、フランク・ディールマンが
かねてからファビエンヌの作品に強い興味を持っていた僕の為に、彼女に声をかけ、
自宅でパーティーを開いてくれたのが彼女との最初の出会いでした。
 書について語り合う友人を持たないからなのでしょうか、初対面の僕に、
書をやる者にしか解らない様々な経験と思いを、彼女は猛烈な勢いで話しかけてくるのでした。
初対面でありながら僕はすっかり打ち解け、言葉を越えた深いシンパシーを感じ、
素晴らしい出会いに感謝し再会を約束したのでした。

 あれから10ヶ月、アトリエの前で
ファビエンヌはあの日の笑顔を彷彿とさせる
素晴らしい笑顔で我々を迎えてくれました。
広大な敷地に点在するアトリエと
住居のすみずみまで彼女は我々を案内し、
どんな質問にも気さくに答え、
自分の創作にまつわる様々な方法と工夫をも
包み隠さず話してくれました。
そんな彼女に僕らを心から信用し
好意を持っていてくれる気持ちを感じ、幸せでした。
 印象深い事の一つに彼女の書・墨画のイメージの
源泉に「石」があるという事でした。
彼女の書斎そして屋敷のあちこちに置かれた、
無数の石のコレクション。
それは見ようによっては自然の大景観にも似た
様々な風景を表現しているのでした。
 東洋人が求めた山水画とおぼしき風景を、
石の表情に見い出し、
深く楽しんでいるファビエンヌの姿に
彼女の創作に向うメンタルなものを垣間見たように思いました。

 時を忘れて大いに楽しんだ再会。名残惜しいのは山々でしたが、いとまを告げる僕に
ファビエンヌが、本当に驚いたのですが、100号もあろう作品を僕にプレゼントしたいと
言い出したのでした。恐縮し「こんな高価なものをもらえない。」と思わず言った僕の
言葉に、彼女は間髪をいれず「私と貴方の友情は、お金で置き換えられないでしょう?」
一瞬僕は自分を恥じました。そして彼女の素晴らしく優しい思いやりに満ちた説得に
感謝しました。それは僕だってのどから手が出るほど欲しかったのですから。

 今、日本上陸第一号のファビエンヌの作品が、日がな一日僕を見つめています。


2007/ 2/ 9
 2006年11月17日から、銀座 GINZA ESTギャラリーで「我流毛筆の会」展を開きました。
期間中約300名もの方々が訪れ、書に対する静かな関心を実感しました。



 我流毛筆の会は、毎月第一第三土曜日の午後、廃校となった世田谷区の池尻中学校の教室で
10名ほどのメンバーが集り、一字書を書いています。

 我流毛筆の会は、詩人であり書評論家でもあった
疋田寛吉先生の著書「我流毛筆のすすめ」に感銘した者が
先生をお訪ねし、初めて毛筆を握ったことが始まりでした。
手本を持たず、誰からも書法を習わず、
ただひたすら書き続けながら、
自分との対話の中で自分の書を見つける。
そんな私達を先生は、遠くからながめていて、
時おりその人らしい書が生れた時には おおいに誉めてくださる。
(先生は誉めることしかしなかった・・・)
私達は、その心から嬉しそうに、楽しそうに誉めてくださる
先生の顔を見たくて、励んでいたといえます。
1986年から集り散じて20年、メンバーはいろいろ変わり、
先生も故人となられましたが、今もなお先生のおっしゃった、

そつなく見栄え良く書かれた「書」、
いかにも手慣れて達筆風に書き流された「書」を排し、
人それぞれの気性に良く似通った、他人に模倣出来ない筆跡であって、
同時に何かしら面白いところがうかがわれる書を評価する。
書の美醜ではなく、書にあらわれたその人の投影が、問題である。

を胸に、それぞれが自分の書を目指し、筆を握っています。

興味のある方は、高橋 修一郎 mips@shu-sho.co.jp まで、ご連絡下さい。


2006/ 6/21
「我流毛筆の会」
 「我流毛筆の会」は故、疋田寛吉先生の「書に毛筆の文字に
人々が魅せられるのは何故か、うまい書ばかりに心ひかれるとは限らない
毛筆の字の懐かしさ親しさ温かさにほぐれる心がある
実用の根は枯れてもわれわれを誘う我流毛筆の流れは、
脈々として生きつづけているのだ」という考えに
共鳴して実用の書をめざし我流で自分の字を書く事を目指してきた会です。

 平成10年に先生が逝去されてからは師を持たず、
会員それぞれが自分との対話の中で自分の書を探ってきました。
何が上手いか下手かの基準を持たず、ただただ自分の納得いく字を書くということは、
一見出たら目 簡単のようですが実はこんな不安で難しいことはありません。
しかし、暗闇の道を歩く中で掴む、時折自分の字が書けたという感触は、
次第にこれでいいんだという思いにつながりました。
 いろいろメンバーの出入りがありましたが、
現在8名が毎月第1・第3土曜日の午後、世田谷区の三宿、廃校となった
池尻小学校跡の世田谷物つくり学校の教室を貸りて書いています。
30代から60代まで グラフィックデザイナー CMディレクター といった
広告関係の人が多いのですが「一字書」を主に書いています。
興味のある方はMailにてお問合せ下さい。

2005/ 5/19
「慈雲の筆」
 古い話になってしまいますが、1987年の秋、
東京・根津美術館で「慈雲尊者の書」という企画展が開かれました。
尊者の誕生270年を記念する書展でした。
かねがね疋田寛吉先生から慈雲についてはいろいろなお話を聞いており、
是非観るようにとの薦めもあり、でかけました。
 独特の個性と今釈迦と呼ばれ尊者と慕われた、
高僧の風格を発する骨太な墨跡は圧倒的な力を持ってせまってくるものでした。
 慈雲の書は護法・説法に無縁のものは一点も無いと言われており、
彼の護法説法への強く深い志向が説得力のある書となって現れていると思いました。
 当日の解法書にも
『書作の目的が明白であり、純粋であるだけにその筆格は重厚できびしい。
書法上の巧拙など形而下の事は意に介さず、一途に正法精神の迸り出た筆跡は
端的に私達の心に響く』と記されていました。
 また、慈雲自身の言葉に
「何ゾ暇絶センヤ(うまく書けなくてもほごにはしない)」というものがあります。
「一回かぎり」という決意で生み出す慈雲の書は一期一会にも似た意味を持ち、
うまかろうがまずかろうが、念力となり観る者に強い印象を与えるのではないかと思いました。

「通円」 「山愛」

「足満」

「在自大」

初めて慈雲の肉筆を目の当たりにして、文字にこめられた思いが
そのまま形に現れているうぶなまでにストレートな作風に目を奪われながら、
その際の心境が強い存在感となって深く響く事にすっかり魅入られたことを
昨日のように思い出すことができます。
 しかしこの日、僕にとって最も印象的だったのは、慈雲が生涯愛用した
ボロボロに使い古された一本の筆でした。全長17〜18cmだったでしょうか。
握りの太い(直径4cm位)毛足6〜7cm、太さ9cm、握りの部分に紙をまきつけ、
麻ひもで結びつけた今にも解体しそうなしろものでした。
 その筆を見つめていると不思議にも慈雲の体の一部のような錯覚を覚え、
慈雲その人が筆を通して僕の眼前に立ち現れたような思いにとらわれたのでした。
 この説明のつかない体験は、慈雲の書よりもなによりも僕にとっては
書に関する強い暗示的なものとして心に残ったのでした。



2005/ 3/16
2005年3月8日小野道風、縁の地、愛知県春日井市で開催された特別企画展「書」に
最近、井上有一のバイオグラフィーを出版されたばかりの海上雅臣さんのお誘いで出かけました。

<書と絵画との距離が非情に近かった時代の書のみにスポットを当てた展覧会>
という内容で青山杉雨、上田桑鳩、大澤雅休、金子鴎亭、尾上柴円、桑原翠邦、鈴木翠軒、
手島右卿、西川寧、此田井南谷、森田子龍、柳田泰雪、等の作品と共に
井上有一の「無我」「愚徹」「不思議」の三点が展示されていました。
韓国より参加されたソク・ドリュン先生と海上さんのお話を聞きながら、密度の濃い鑑賞会でした。
広い会場の一角に四面の衝立で他と遮断された空間に展示された有一の
「愚徹」「不思議」「無我」の三点は圧倒的パワーを持って異空間をつくりあげていました。
ソク・ドリュン先生の「有一の書は、一匹の蚊を殺すのに牛を殺す牛刀をたずさえて
渾身の力をこめてたちむかう。そんな書だ。」とおっしゃいました。
有一が殺そうとした「一匹の蚊」とは一体なんだったのでしょう。





1995年頃有一が印した詩

メチャクチャデタラメに書け。
ぐわあ〜っとブチまけろ。
お書家先生たちの顔へ
エナメルでもブッかけてやれ。
せまい日本の中にウロウロしている
欺瞞とお体裁をフリとばせ。
お金でオレを縄りあげても
オレハオレノ仕事をするぞ。
ぐわあ〜っとブッタギッテヤル。
書もへったくれもあるものか。
一切の断絶だ。
創造という意識も絶する
メチャクチャデタラメにやっつけろ。

が頭に浮かびました。
そして1982年10月に印した有一の遺偈



  本  欲  六  守  
  来  知  十  貧  
  無  端  七  揮  
  法  的  霜  亳  
               ┌┐ 
   本    端   六   貧  
   来    的   十   を  
   無    を   七   守  
   法    知   霜   り  
  └┘   ら       亳  
        ん       を  
        と       揮  
        欲       う  
        す        

を思い出さずには
いられませんでした。



2004/ 9/27
疋田寛吉先生のもとで書に親しんできた者達を中心に
先生亡き後も「我流の書」を書き続けている集まり「我流毛筆の会」について
また詳しくお話するとして、
先日この会でいつものごとく自分の書に悪戦苦闘し、ふらふらに疲れた会員5名。
下北沢のカルチャー教室の壁に張り出された
僕らと同じ賃貸しのスペースを借りて開いている他の書道教室の会員の書に見入っていました。
そして、皆の眼がその中の一点の書に熱っぽく注がれているのに気がつきました。
5歳の子が書いた「いろ」という2文字。
一見ぶっきらぼうに書かれた文字ですが、何か強いものがあります。
なんのてらいも無く、余計な想いが一切無く、ただスーッと無心に書いた集中した2文字。
今まであ〜だ こ〜だと自分の書いた書について頭に血が上っていた我々は
突然バケツの水を浴びせられたような気になっていたのだと思います。
師を持たず、それぞれがそれぞれの書をかいて、
一切他人の干渉をしあわない一風変わった集まりですが、
この日は我流の会員の中に書に対して何か共通の思いが
できあがっているような気がして、実に嬉しい気持ちになったのでした。



2003/ 6
2003年6月
房総の岬町に写真家 国房魁さんを訪ねました。
一行は永年一緒に仕事をしてきたCM制作のクリエイティブディレクター、プロデューサー、
ディレクター、美術デザイナーといった仲間で、全て僕の先輩にあたる人。
日本のCMを支えてきたといっても言いすぎじゃない人達。
房総の新鮮な魚を堪能し、昼間からお酒を飲んで大いに盛り上がったところで
酔書ともいえる我流の一字を皆で書きました。
毛筆を持つのは小学生以来とはいう人達とは思えない、
それぞれの人柄が現れた楽しい字が生まれて、皆 大満足。
書をかき合うということはとても楽しいコミュニケーションになる事を強く感じました。






2002/ 9/ 3
2002年8月、中国のカリスマ的ロックミュージシャン崔健(チュイジエン)の呼びかけによって、
中国を代表する30に近いロックバンドが雲南省(Yunnan)の麗江(Lijang)に集まり、
中国初の野外大ロックコンサートが開かれました。

これより1年前、ちょっとした縁で崔健(チュイジエン)と面識をもつようになっていた私は、
このコンサートの映像取材を申し込み、彼から快い返事をもらったのでした。
うかつにも慌ただしい出発準備のさなかになってさえ、私はまだこのコンサート会場の
麗江(Lijang)が、あのトンパ文字の故郷であることを思い出していませんでした。
8月1日やっと準備も整い北京経由で昆明(KuengMing)に飛び立つ数日前、
ふとそのことに気づき、自分の旅の思わぬ新局面に大いに興奮しました。
トンパ文字についての薀蓄はここでは控えますが、
トンパ文字の故郷 麗江(Lijang)は不思議な感じ・・・デジャブウを感じる街でした。

西方のチベットから連なる雪山の峰々(5,596m)王竜雪山のふもとで、
雨期の豪雨の中3日間に渡って繰りひろげられた白熱のロックコンサートは、
まさに1970年代のウッドストックを思い出させるもので、中国のロックはまだまだハードな
プロテストソングとしての純粋性を保っていると思いました。

話は変わりますが、南にタイとの国境を持つこの地方は、ナシ族を中心に
少数民族の宝庫といわれる土地で、彼らの体系、顔立ち、そしてその生活習慣は、
我々日本人と驚くべき共通性を持っているのでした。
村の木造家屋の集落は、日本の田舎の家並みを思わせるものでしたし、
蕎麦を食し、うどんを食し、納豆を食し、汁粉を食す、
まさに日本の食のルーツといって間違いない土地でした。
この街が日本人である私にデジャブウな気分をおこさすのも、考えてみれば無理のない事。

このデジャブウの土地に生まれた、トンパ文字の具象性とそこから生まれるサイン(記号)としての
機能のユニークさ面白さは、漢字を取り込んだ私たち日本人でも、読み取れる
脈々たるものがあり、風土と文字(文化)の当然ともいえる拮抗を
今さらながらしみじみと感じたのでした。



2002/ 3/29
詩人にして書評家でもあった疋田先生が、逝去されてからはや4回目の桜の季節を迎えました。
先生が主催された『我流毛筆の会』もその後、休眠をしていましたが、
誰からともなく「また始めたいね。」という声が持ち上がり、毎月第2、第4、土曜日の午後3時から
下北沢駅前のスペースで再会しています。
疋田先生という師はいらっしゃいませんが、先生の薫陶を偲びながら、
それぞれがたった一人の我流の書を再び歩き始める自由な場になればと思っています。
興味のある方はどなたでもご参加下さい。
詳細はMailにて(mips@shu-sho.co.jp)おたずね下さい。



2002/ 3/19
個展のお知らせ

今(2002/3月11日〜3月23日)
西麻布のBarブラックホールで6点の書を展示しています。
オーナーの玉井さんはカメラマンで僕の古い友人。
様々なクリエイターに壁面を提供しアートの発信基地に
したいとのこと。
いちど、よろしかったらどうぞ。



2002/ 2/ 1

2001年12月から中目黒の「ぎゃらりー和楽」に、「響」「笑」の2作品を
展示しています。
自分の作品を販売目的に展示したことは初めての経験で、
実に不思議な気持ちにとらわれました。
作品の評価には様々な形があるとは思いますが、
お金に換算してその評価を受けるという経験が不思議な気持ちを
生んだのでした。
自己表現の産物ともいえる作品。
作者には、その作品評価を価格で表示することへの本能的ともいえる
強いためらいや、違和感があるのではないでしょうか。
しかし、考えてみれば芸術作品であろうが、工業製品であろうが、
ある意味で同じ「物」であり、物を価格で評価することは
最もクリアーで、シビアーな評価であり、作品と人々の関係(価値観)を
最も具体的に、表わしているのではないかと、あたり前のことを
今更ながら痛感したのでした。
自分自身の分身とも思われるものについた価格。
この不思議な感慨をいつまでも忘れないでいようと何故か強く思ったのでした。





2001/10/ 1

2001年9月15日より30日まで10年ぶり、2回目の個展をパリのESPACE JAPONで開きました。
成田出発9月13日。NYテロ事件の2日後とあって、額装の作品17点を大きなダンボールで
入国しようとしたドゥゴール空港で厳しいチェックを受け、大変な思いをしました。
パリの会場では、私の作品展示とパフォーマンス(訪れた方と一緒に大きな紙に、漢字一字を墨書)
『漢字の持つ意味をしっかりイメージし、決められた形に即して自由に書く』という遊びに似た
お絵書きの様な表現に、好奇心をかられる人が多く、100人近いフランス人が生れて初めての
筆をにぎったのでした。
先入観の無い、上手下手の概念の無い、彼等の描く漢字は4、5歳の幼児の書く絵の素晴らしさに
似て、私には得るところ大なるものがありました。


ルールである形にのっとって自分の描くイメージが伝わる楽しさは、書はどうある
べきかといった専門的ドメスティックな問題からとき離たれて、
面白い!!不思議!!深い!!アクションペインティングだ!!私の形!!アートだ!!といった感想となって彼の国の
人々の口から発せられたのでした。
この体験を通して、最も東洋的な表意、表現がもしかすると、ヨーロッパの人々との間にとても近い距離
を持っているのかもしれないと感じました。
それにしても媒体が何であれ、自分のイメージを表現しあうことの悦びと楽しさは、世界の人々と共有
できる大きなコミュニケーションの輪であると思いました。


2007/12

第二回 我流毛筆の会 グループ展  2007.12
 2007年11月16日から10日間
銀座一丁目に新装オープンした画廊、GINZA ESTで第二回目の我流毛筆展を開催

高橋修一郎 ・ 大内晃 ・ 後藤徹 ・ 志賀綾奈 ・ 高砂怜子 ・ 田中惣二 ・ 中野利彰
浜村基光 ・ 松浦敏明 ・ 山脇昇 ・ 山脇学の11名が出品。

この一年間のそれぞれの成果を展示した。
 250人を超える方々に見ていただき、会員皆、大いに悦び感激する。
 一年後には果たして自分らしい自分にしか書けない書を一歩でも押し進められるか
皆心を新たにした次第。








妙心寺展

2009 1 20日から東京国立博物館で開催されている、妙心寺展に出かけました。
 ヴアーモントに住む、画家のギルバート・エミコさんの「天皇の書がみられるわよ」という
おすすめによるものでした。
 思えば疋田寛吉先生が最後のライフワークとして、準備されていたテーマが
「天皇の書」でした。執筆途中で健康を害され無念にも思いを果たされませんでした。
 先生は折に触れ歴代の天皇の書についての感想をもらされ、なかなか真筆を見る機会を
持たないまでも強い好奇 心を持つことになっていました。
 そんなことでわくわくした気持ちで出かけたわけです。

  開山650年日本最大の禅寺臨済宗 妙心寺の出典物は彫像、画、仏具等様々な分野に渡って、
貴重な宝物の集積でした。
 僕にとって

   
伏見天皇 花園天皇
     後土御門天皇

     後奈良天皇

        昭和天皇

と並ぶ天皇の書を直近に見ることができたことは大きな体験でした。疋田先生が何故天皇の書に興味を抱いたかその一端を、垣間見た感じがしました。


 昔から「書には人格が現れる」と云われますが書からその人物の教養、意識の集中度、品格等様々なことが読み取ることのできる。この意識が天皇の書を表に出すことをためらった理由の
一つではないかと思われます。しかし、権威に縛られた時代から遠く離れた今、僕の眼に映る
天皇の書はそれぞれが誠におおらかな、下世話な感情が微塵もない素直なもので、無垢な心、
直情が感じられる書でありました。

 権威の壁に包まれた中で天皇御自身は常に自然体の無垢な御人柄であったのではないかと
強い実感を得たのでした。


 中世の書の難解さに解放されて、ストレートにその印象を得ることができたのは
やはり現代の書である昭和天皇の大書二字でした。規律正しい真正直な濁りの無い人格を
痛感させるこの書は正に「書は人格を現す」ものという確信を抱かせてくれました。


 妙心寺歴代の高僧 開山・関山、大燈国師、道鏡、白隠達の書
 とりわけ昔から白隠に魅かれていた僕にはその複数の肉筆に接することができたのは
感激でした。しかし不思議なことに間近に見る実物の白隠の書は、
縮小されたり切り取られ拡大された印刷物から得る印象より強いものが感じられません。

 あのドロッとした凄味を感じさせる大胆不敵な生臭さも影を潜めているように思われ、
実に不思議な気持ちにさせられました。

 禅の僧でこそ、生ぐさく=人間くさく どこかドロッとした凄味をたたえているべきといった
僕の勝手な思いが少々裏切られたように思われたのでした。


 天皇の書高僧の書にしても
「その人柄が書に現れる」
と感じた体験は書の面白さと共にその恐ろしさも感じさせてくれました。